大阪・阿倍野区を拠点に住まいづくりなどを行う一級建築士、清水正勝の紹介
略歴
- 1966年 奈良県で生まれる
- 1990年 関西大学工学部建築学科を卒業
- 1990年 塚口明洋建築研究室に勤務
- 1994年 建築環境研究所に転職
- 2002年 独立して清水正勝建築研究室(設計事務所)を開業。
資格
- 一級建築士
- 一級建築施工管理技士
- 福祉住環境コーディネーター
- 宅地建物取引士資格
- 二級FP技能士
所属
- 大阪府建築士会
- 大阪商工会議所
自己紹介
一級建築士の清水正勝です。大阪市阿倍野区を拠点として、設計事務所をやっております。
私は奈良で生まれ育ちました。父が大工だったため建物の現場へはよく連れて行ってくれまして、現場に落ちている木の端を集めては、積み木のように遊んでいたように思います。このように、小さなころから木に親しんでいました。
こういう環境だったからなのか、小学生の頃から建築関係の仕事をするんだと漠然と思っていました。それで高校では理系、大学は建築学科へと進んでいきました。
大学時代には、設計事務所でアルバイトをしたり、あちこちの建築物を見て歩いたりしていました。
大学2年の時、当時から有名になりだした安藤忠雄さんの建築を見るために神戸北野や大阪市内をぶらぶらしました。今までの建築にはない空間の突然の変化に、建築の知識の少ない私には大変驚かせられました。
大学3年の時にはヨーロッパ旅行をしました。日本にはない石づくりの建築や当時最先端のパリの建築を見ては驚きの連続でした。特によかったのは巨匠のル・コルビジェの設計によるロンシャンの教会を見たときは感動もので、しばらくその空間を満喫していました。
この頃の私は、このように建築漬けの毎日でした。
ただ学校の成績はそれほどよくなかったので、4年のゼミを決める際には音の環境系に決まってしまいました。しかし、どうしても設計事務所へ行きたかったので、建築意匠(建築デザイン)の先生には無理を言って入れてもらいました。
ただし製図の点数において、ある基準点以上をとるようにと条件をつけられ、それから努力して、何とかクリアして、無事に卒業ができました。
設計事務所へ入って最初に担当した建物は事務所ビルでした。設計・申請・現場監理と全てが初めての経験でしたが、覚えていくことはなかなか楽しいものでした。現場では、考えたものが形になるのはわくわくすると同時に、責任の重さを感じることもよくありました。
建物が出来たとき施主より「良いものができました」と言っていただき、うれしさと同時に「このためにこの仕事をやっている」と思いを新たにしたものです。
いろいろな建物について経験を積んでいましたが、その後、新たな経験をもとめて別の設計事務所へ移りました。その設計事務所においての、最初の担当の建物は個人住宅でした。この建物は規模も大きく施主の見識がかなり高い方だったこともあり、建築以外のところで悪戦苦闘しました。
なかなか難易度の高い住宅で図面を書いては何度も何度も訂正しました。ただ、このときに建築に熱中する時間を体験できたのは貴重な体験で、今の私の家づくりの基盤となっています。
建築物をつくるということは、図面だけを書けば良いのではなく、多くの関わる人に協力してもらいつつ、つくっていかないといけないので、マネージメントの力が自然とついていきます。
多くの経験を積んでいくうちに、設計では若い人に、現場では現場監督さんや職人さんに意図通りに動いてもらうため、指示をうまく出すようになりました。
勤めた設計事務所で様々な経験をさせて頂いた後に、独立して設計事務所を始めましたが、最初に手がけた建物も個人住宅でした。施主の希望、敷地、形、時間そして予算をトータルにまとめ、よりよい建築となるように考えていきました。
このときは、まとめていく過程で、予算をオーバーしましたが、施主と打合せしていくなかで、ご理解いただき、また施主のご好意により当初の形で建築出来ました。建物が出来て、施主にも喜んでいただき、本当にうれしかったです。
最近思うことですが、施主からのご依頼以上の建物ができないかを常に考えて設計をしています。やはり「頼んでよかった」と言ってほしいからです。この思いを常に心において取り組んでいきたいと考えています。
また、設計以外にも住宅の検査もしており、これにより無理な設計や施工の問題点を把握することができ、互いの業務に上手く活かすことができています。